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ほっぷすてっぷ

by mariko

人と接する時、どんな自分で居ようかと、相対する前に考えることはあっても、いざその人を目の前にした時にそんなことは考えてもいない 。ただ、その人の、話すスピード、息づかい、眉毛の動き、そんなものを表情として捉えて自然とそこに合わせている自分に気づくことがある。


その人の思いに寄り添って、悲しい、たのしい、寂しいと同じ気持ちになってしまうこともよくある。


わたしが、友人との関係で思い悩んでいた時、尊敬している人に"同情しても同調はしないで"という言葉をもらったことがあった

同情とは...
「 他人の気持、特に苦悩を、自分のことのように親身(しんみ)になって共に感じること。かわいそうに思うこと。あわれみ。おもいやり。 」

同調とは...
「 他のあるものに調子をあわせること。他と同じ意見・態度になること。 」


改めて、この一字違いの単語を並べて考えてみると大きな違いに気づく。


物事を深く考えすぎて、前に進めないことが、多々ある自分の大元を辿るとだいたいが、なにかに同調してしまっていたところがあるのかもしれない。


そんな自分が嫌だ嫌だと否定をし続けて、眠れずに朝を迎えたことなんて数え切れないくらいある。


でも、今思えば、繰り返してきた自己否定も悪いものではなかったと思える。


こんな自分じゃダメだ、こうしたいのに...と自己否定すること自体もだめなことだと、自己否定をも否定していたし、一見マイナスなものに見えるかもしれない

でも、それは、昨日と違う、数秒前ともまるで違う自分に気づくためには必要な近道だったのかもしれないと思う。



例え、わたしが歩いていく道が舗装された完璧な道だとしても、これでいいのか、この歩幅やスピードで疲れないか、もっと楽に歩いていけるこの足にあった靴もあるんじゃないか。なんて、今よりもっと気持ちよく歩いていける方法を探すことはやめたくないと思う。


そんな自分が教えてくれること。
急がないこと。
立ち止まること。
深呼吸すること。



慌てんぼうな私だから、もっと、呼吸を整えて、この足で一歩一歩歩いていきたい。


あまりに慎重に歩いていてもつまらないから、たまには、大手を振ってスキップを。


mariko
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